Home > 未分類 > 己という最高の僕(しもべ)

己という最高の僕(しもべ)

『常識に縛られるな。肉体に限界はあっても、精神に限界はない。自分には力があると信じて行動できなければ、たった一度しかない人生が終わる時まで、己という最高の僕をコントロールしきることはできない。』

3×3eyes(サザンアイズ)」という、すごく好きな物語があります。妖怪とか魑魅魍魎の類いがいっぱい出てくるようなオリエンタルファンタジーな世界観なのですが、上の言葉はその中で数千年生きてる老人妖怪、魔導士マドゥライが主人公を鍛える時に伝えたものです。

どう頑張っても他人をコントロールすることは出来ないけど、自分自身なら鍛錬次第でどうとでもコントロールできる。自分の力を信じて徹底的に引き出そうとしなければ、せっかくの人生を楽しみきれない。

そんな風に言われているように感じました。己を鍛えること。人生においてそれこそが全ての活動の根底にある気がします。

己というのは、本当に唯一で最高の僕なんでしょうね。やれることはまだまだあるし、全然足りてない。35年生きていてまだそう感じるということに、本当に無限の可能性があるのかもしれないと少し納得してしまいます。自分の気持ち次第で如何様にも向上していける。

逆に、まったくの未熟者だからこそこんな感じ方をしてしまうのかもしれませんけどね。

この言葉からもう一つ感じたのは、「変えられるのは、鍛錬出来るのは己自身のみだ」と言うこと。探究すべきは自分を取り巻く外側の世界ではなく、自分の内側にこそあると感じています。世界に対する要望とかそんなものが叶うはずもなく、叶うのは己自身の成長、内面の変化だけなのだと。

ただし、己を知るには外も知る必要があります。鏡がなければ人は自分自身を見られないのと同じで、外の世界は鏡として機能しています。外を見ることで、己も見えてくる。「全は個、個は全」という言葉にも通じる考えのような気がします。世界があるからこそ、己がある。己という意識が存在するからこそ、世界というものが認識できる。己が消えてしまえば、己にとっての世界も消えてしまう。自分からはそれまでの世界が見えなくなるだけで世界は依然としてそこに存在し続けるのだとしても、自分にとっての世界はなくなってしまう。

世界がなくなる前にどこまで自分を、自分を含めた周りを高められるか。この世に生を受けたからには、そこに挑戦せずしてどうするのかと。

たった一度しかない人生が終わる時まで、己という最高の僕をコントロールしきる

この言葉を見るたびに、そんな気持ちを思い出させてくれるのです。

とはいえ、自分に対する甘えがあるわけで、やっぱり敵は己自身の中にあるのだなぁということも日々思い知らされるわけでした。はぁ・・・(ため息)


Home > 未分類 > 己という最高の僕(しもべ)

Search
Feeds
Meta

Return to page top