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父性って何だろう?

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659

一つの作品でも色んな見方があって面白いです。自分の見方とは結構違うだけに。

孫悟空というキャラクターは、決してバトルマニアという性質を全面に押し出していたわけではなかったと思います。実際、物語終盤ではスーパーサイヤ人3になってブウを倒さなかった理由について、生きてる奴らが解決しなきゃダメだと言ってますし。アニメ版ではそれなりに父親してましたしね。ラディッツが来るまでは「修行をサボっていた」とピッコロに言われる程度には家庭を大事にしていたわけで。

そう考えると、幼かった頃はバトルマニアだった孫悟空も父親になって変わり、さらに一度死んでからまた少しずつ変わっていったんではないかと思えてきます。いつか現世から離れなきゃならない事を身を持って知った悟空としては、世界を救うのは自分じゃダメで後の世界を支える世代にやらせなきゃという意図を持って、セルとの決着は悟飯がつけるべきだとした、と自分は捉えてます。

もちろんバトルマニアとしての自分の趣味を満足させるためと、悟飯で行けそうかを確かめるためにセルとは戦いましたけどね。まぁそれはご愛敬ってことで。

好きでもない戦いに身を投じさせる流れがゲンドウのケースと同じという分析はどうかなぁ。演出の手法がたまたま同じだったというだけなのでは。立ち上がるきっかけとして自分より弱いものの存在をクローズアップさせたのは、作者であって悟空ではないわけで。ゲンドウのはゲンドウが仕向けたという流れだったけどw

そして悟空自身も自分が戦うのが好きだから自分の息子も同じように戦うのが好きだろうと、また子供を自分の意思で思い通りに出来ると思い上がっていた事に他人であるピッコロの指摘で気付かされます。

うーん、戦うのが好きだろうから戦わせてるという指摘も強引かな。それに、こう捉えられるような描写だったかな?詳しく覚えてないけど、前述の「続く世界を守るのは若い奴ら」だという考えがあったからこその行動であって、ピッコロの心理はむしろ「人間よりずっと寿命が長いナメック星人であるピッコロは悟飯より先に死なないので、悟空のような考えは全くない」というほうがしっくり来ないかなここは。

そもそも拳と拳で語り合う不器用なバトルマニアだった悟空が精神と時の部屋で息子を説得できていたとしたら、その方が不自然。悟空はそんな器用じゃないって。

物語の捉え方が自分と大きく違っていたのは、ピッコロを師匠ではなく父親として見るという視点かもしれません。亀仙人と悟空やクリリン、鶴仙人と天津飯や餃子。かつて描かれていた師弟関係についての描写がここでまた一つ生まれ、かつて敵だったピッコロを師匠と仰ぐのは自分の息子という奇妙な関係。そういう何代にも渡る人間関係の妙というのもこの物語の面白さの一つだったりするのだと思います。むしろ、最初は鬼のように厳しかったピッコロがその後は優しいだけだなんて、自分にとっては気持ち悪かったんですよね。純粋悪がクールだったのに。まぁ「より強いもの=純粋悪」と「主人公の勝利→純粋悪が改心」というジャンプロジックなのでしょうがないか。

それはさておき、父親なんてものは厳しさ=優しさだと思う。母性の厳しさと優しさとはまた違って。瞬間的に身を挺して刹那的な救いをもたらす事が父親的な優しさだとは思えないのだよなぁ。それに、両親ともに優しかったら誰が厳しく鍛え上げてくれるんだろうか?いやまじめにそう思う。父親とは、獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすがごとく、子が生き延びられるように厳しく当たるのは自然かと。

あ、最初に文字通りそんな感じだったピッコロは父親というイメージが無いわけでもないか。むぅ。でも「身を挺して守る」のはどちらかというと母性だよなぁ。子猫を守る母親の姿。

物語のとらえ方は、その人の人生経験に大きく左右される。だから自分と違う意見はあって当然だけど、父性に対するとらえ方というか期待感が結構大きく違っているというのが特に面白かった。


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